結婚できないと思っている方へ 

貴方は本当に結婚できないのでしょうか? そう思い込んでいるだけではありませんか? 

メンタリスト監修のマッチングサービス

 

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面白いものを見つけました。それがタイトルのメンタリストDaiGoさん監修の恋愛・婚活マッチングサービスです。クリックする広告にもよるみたいですが、サイトに入るとすぐ心理テストが始まりました。ネタバレしてはつまらないので詳しくは書きませんが、指示に従っていくと結果が出ました。私のパーソナリティーに関して細かく書かれていたその内容は、かなり当たっているように思えました。まずは一度試してみてください。面白いですよ。 

 

女性用心理テスト

 

男性用心理テスト

 

どうでしたか? 当たってましたか?

実は私はDaiGoさんの実力をかなり高く評価しています、、、と書くと、素人なのに随分えらそうな感じですが、つまり「すごい実力」と勝手に思っているということです。まあ、これはほとんどの日本人が思っていることだとは思いますが。  

以前ある番組で超常現象を信じないというW大名誉教授のO氏と、他人の心が読めるというマインドスキャナーが対決したのを観ました。観られた方もいらっしゃるかと思いますが、結果、O氏が名誉教授の称号を賭けて敗退したのですが、私はこのマインドスキャナーを見てすぐ「ああ、この人はメンタリストなんだなあ」と思いました。前振りのVTRのジャンケン対決の時、相手の出し終わった手を、パーならチョキで切り、グーならパーで包んでいたからです。いずれも次に相手に出させる手を誘導しているのだと思います。 

ネットではこのマインドスキャナーのことを「マジシャン」と評価する人も多かったようですが、手品を使うこともあるのかどうかは別として、私は基本的にはあの人はメンタリストだと思いました。前振りのジャンケン対決などは手品では難しいし、「誘導」はやはり手品というよりはメンタリズムと呼ぶ方が正しいような気がするので。 

日本一有名なメンタリストDaiGoさんの技を見ていても、メンタリズムの場合、相手の微表情や仕草を読むのと同等以上に大事なのが誘導のように思えます。相手を読むだけだと、後ろ向きになって、それ以降に相手がする行動を次々に当て続けることは不可能なことです。それこそ超能力でも持ってない限り。 

マインドスキャナーも「予言」的なことをやっていましたが、以前DaiGoさんがもっとすごいのを披露していたことがあり、私はそれを観ていたので、あまり感動はありませんでした。詳しくは覚えていませんが、イメージとしてはこんな感じです。 

「まずは赤のボールを取って上げ、次に黄色のボールを取って上げようと思ったが、やめて緑を取る。そしてそれを上げようとしてやめて下におろす」 

これを後ろ向きで言い当てていました。それを観ていて私は正直怖いと思いました。それほどまで簡単に人は誘導されてしまうのか、と。DaiGoさんがもし詐欺師や悪徳商法をやったら、誰も抵抗できずに騙されてしまうのだろうなあ、と思いました。 

あくまで私個人の意見ですが、このマインドスキャナーは、DaiGoさんがいる日本にわざわざ来る必要があったのかと思う程度の精度に感じました。私にはDaiGoさんの方が遥かに上位のメンタリストだと感じるからです。 

そんなDaiGoさんが監修したこの恋愛・婚活マッチングサービス【with(ウィズ)】は、価値観を共有できるパートナーを見つけるためのサービスで、真剣に付き合えるパートナーや結婚相手を探している人向けのシステムです。 

私も付き合ったり結婚したりするための一番大事な要素は価値観だと思っています。他の面が合っていても、これがずれているといずれ破局したり苦しむことになる可能性が高いと思うからです。 

たとえば、子育ての時に「幼少期から英才教育を」という考えと「子供は伸び伸び」という考えは、なかなか両立できないし、「とにかく良い大学に入って良い就職を」という考えと「適材適所なんだから、自分に合った大学に入り、したい仕事をすれば良い」という考えも、なかなか両立しません。 

これは当然、子育てに限らず、「今を捨ててでも先を見据えて」という考えと「今この瞬間を大切に」という考えが相容れないように、価値観が違うと何かと難しいと思うのです。 

「それはそれで学びになるし、補填関係とも言える」という風に感じられる人は良いです。でも、あくまで私個人の意見としては「それは補填関係とはならないのではないか」と思います。 

過去の人間関係の経験から、「思想や価値観が近くて、性質が違う」場合、それは補填関係になると思います。価値観が近い2人のうち1人は内向的だけど思慮深く、もう1人が快活で社交的だけど少し思慮に欠ける、などといった場合です。この場合、Aが苦手なことはBが得意で、Bが苦手なことはAが得意となります。価値観が同じだと目的が同じになりますから、二人でお互い補填し合って1つの目標に邁進できます。

でも、この逆は結構大変だと思います。たとえば、どちらも引くことを知らず負けず嫌いな性質は同じで、価値観が全く違う、という場合などは、毎日のようにぶつかり続けたりすることになると思います。価値観が違うと目標が違いますから、進む前に揉めます。そして、どちらも引かない性質だと出だしで揉め続けていっこうに前に進まなかったりします。

実は、この2つ目の例は私の両親なのです。上記の「進む」「邁進」は「人生を歩んでいく」という意味でしたが、実際文字通り、どこかへ出かける際、「どの道を行くか」だけで何十分も揉め続けたりしています。

他にも幾つも例はありますが、とにかく私は価値観が同じ人と付き合ったり結婚したりする方が良いと思います。自分が価値あることだと思っていることを、恋人や伴侶に「そんな無駄なこと……」などと言われたら、悲しくないですか? このこと1つだけでも、やはり同じ価値観の人を選ばれることをお勧めします。

 

 

ここで一つ思い出しましたが、ものの考え方ということで言うと、私とDaiGoさんは正反対だと思っています。ただ、価値観が違うとまでは思いませんが。

この「with」というサイトに入ると書いてある「運命よりも、確実」というフレーズ。私はこれが少し気に入りません。

この辺に関しての私の考えは「新しい出逢い方」のほうに書いたので、そちらを読んで頂きたいと思いますが、気に入らないのは「~~より~~」です。なぜなら、私はこのマッチングサービスで知り合って付き合った男女の出逢いも「運命」だと思うからです。もしくは、「新しい出逢い方」で書いたように「地球の反対側の人間同士が太平洋の真ん中の孤島で出逢ったことも偶然」です。どちらも私には同じことなのです。だから「運命より」というのが少し気に入らないのです。 

ただ、このフレーズの趣旨をDaiGoさんに聞いてみたわけではないので真実は分かりませんが、「運命という言葉に囚われて白馬の王子を待つより、行動に出て自分に最適な人を探しませんか?」という呼び掛けだと私は理解しています、、、って、じゃあ、気に入らないわけではないじゃないか、とお叱りを受けますね。。。

実際、私はDaiGoさんが嫌いじゃありません。たぶん、直接話すと意見の相違は出てくると思いますが、彼は良い人だと思っています。根拠はありません。ただテレビで観た単なる直感です。

でも、さっき書いたように「詐欺師や悪徳商法」とまではいかないまでも、彼ならもっと「人を操り金儲け」はできると思うのですが、そうではなく、人助けとも言えるこういう「人を幸せにする」マッチングサービスを始めるところが、恐らく私の直感の裏付けになっていると思うのですが、あなたはどう思われますか? 

私のメンタリストとしての(?)能力から推測すると、DaiGoさんは「自分の利益のためにメンタリズムを使う」タイプではなく、「人を喜ばせたら自分もうれしいからメンタリズムを使うのだ」というタイプだと判断します!

 

 

 

 

 

新しい出逢い方

幼い頃、大人たちが「恋愛結婚」「見合い結婚」などとよく言っているのを聞いて、両親にどちらなのか聞いた覚えがあります。答えは恋愛結婚でしたが、よく考えると、こういう話題、我々世代の頃にはもう既にあまり言われなくなっていました。そして、今では全く聞かないように思うのですが、実際のところはどうなのでしょう。

私が疎いだけ?

いずれにせよ、私にはこの違いが全く分かりません。いや、バカではないので言葉の意味の違いぐらいは分かります。ただ、内容的な違いが分からないのです。

 

 

私が大学3・4回生の時、いくつかの授業を受け持って下さっていた若い先生がいました。その先生、元々高校の先生だったらしく、学生と接触するのが好きなのか、学科の親睦会と称して宴会を催したりしてくれます。

これは非常にありがたく、新しい友人ができたりもしたし楽しい時を過ごせました。そして、この時知り合った友人たちと旅行に行ったことで、今の伴侶と知り合うこともできたので、私はこの先生に大変感謝しています。

ただ、この先生と私は結構相性がよくありませんでした。いえ、悪くはないし嫌いでもないのですが、正反対の考え方だったりするのです。

ある宴会の時、先生が結婚について話していて、「俺の友人で、よりにもよって高校の時隣同士になった女性と結婚した奴がいる。何が悲しくてそんな身近な女性を選ばなくてはならないのか。それじゃあ世間が狭い。この世に女性はたくさんいるのだから……」と言い出したのです。今なら恐らく「35億」と言ったことでしょう。 

それで私は何かの小論文の時、そのことについて書きました。何の課題だったかは忘れましたが、その先生の授業内の課題でした。書いた詳細ははっきりとは覚えていませんが、だいたいこういう内容でした。

「物事の重要度や価値を、単なる物理的な距離や大きさで測る人間がいるが、それは本当に正しいことなのだろうか。例えば、地球の反対側に住む人間と太平洋のど真ん中にある小さな島で出逢えばそれは「運命的」な出逢いで、高校で同じクラスになり、隣同士に座ったことは「単なる偶然」なのか。いや、私はこの世に異性は数多くいる中で、同じクラスになり、しかも隣同士になったことも十分「運命」だと感じる。もしくは太平洋の小島で出逢ったことも「単なる偶然」である。そういう人は、この両者にいかほどの差を見いだせると言うのだろうか。いずれにせよ、地球上の全ての異性と出逢うことなど不可能なことであり、その全体から見れば出逢う数など似たり寄ったりだと言うのに……」

というような趣旨のことを書いたと記憶しています。生意気ですねぇ。。。

先生は恐らくそういう意味で言ったのではなく、単に「視野を広く持て」と言いたかっただけなのでしょう。が、例が悪かったとは今でも思っています。

そして、これは単なる一例で、他にも何度か「意見の相違」があり、私はそのたびに同じような「反論」を書きました。この先生の授業は卒業の単位的には非常に重要で落とすわけにはいかなかったのですが、まだその頃の私には「意味不明な正義感」が残っており、「ままよ」とばかり、全てその調子でした。

結果、その先生の授業、確か2年間で4~5科目あったと思うのですが全て「優」でした。

今の判定の仕方を知らないので念のため書いておくと、当時の大学のほとんどが「優」「良」「可」「不可」で判定し、「優」が最高位で「不可」は単位不認定でした。

さすが元高校教師と言うか、人間ができてる?と言うか。ただ、この先生、この「意見の相違」が出始める以前から私の考えを高く評価してくれていました。「〇〇(私)の視点はなかなか鋭くユニークだ」と、何かに関しての論文を皆の前で発表してくれたりしていたので、、、、でも、あんなこと書かれたら腹が立つはず、ほんとは。。。

なぜか、赤っ恥時代の暴露話になってしまいましたが、ただ、これで恋愛結婚と見合い結婚の違いが分からない、とする私の意見がご理解いただけるのではないかと思います。私は形式に囚われたり騙されたりするのが嫌いなのです。

 

現在の日本の結婚率は下がる一方で、それに伴って当然出生率も下がり、このまま行くといずれ日本の経済は破綻をきたすと言われています。が、そんな話をしたいのではありません。「日本の将来のために結婚して子供を作れ」などとはとても言えません。皆それぞれに考えや想いがあり、そんなことは個人の自由です。それに私は「独身」を全く否定していません。ただそれが「できない」と思っているのではなくて「しない」という場合なら。

つまり、私が気になるのは、恋愛率や結婚率が低下している原因の方なのです。 

若い人に話を聞く機会が結構あり、そういう話になって感じることは「様々な恐怖」でした。「結婚して生活が変わる不安」「子供を育てられるか心配」「果たして自分は他人と一緒に暮らしていけるのかどうか」など。最も深刻に感じたのは「異性との接触が怖い」と言うものです。 

経済不安・情勢不安、文明の発達や家族形態の変化など、時代のせいにより生み出された恐怖であって彼らのせいではありませんので、「私たちの若い頃は……」などと言ってみても状況が違うので全く意味がありません。

それは分かっています。だから文句を言う気はありません。ただ、、、なぜか寂しい。

 

 

私は小学生の頃までは異性とよく遊んでいたのに、なぜか中学2年の頃から恥ずかしくて話せなくなり、無理して話すと赤面してしまうようになりました。 

そんな自分が情けなくて嫌で、高校からは赤面症を克服する努力をしました。いろいろ試していて一番効果があったのは、「恥ずかしくないふりをすれば、その内恥ずかしくなくなる」というものでした。

また、ちょっと過激な方法かもしれませんが、「相手が恥ずかしがれば、こっちは恥ずかしくなくなる」という意味不明の理論から、わざと異性にいきなり顔を近付けるのです。鼻がぶつかるぐらいまで。そうすると大概相手は恥ずかしがります。それを見るとなぜかこっちは恥ずかしくなくなるのです。

こんなアナーキーな方法を取れ、などと言う気は勿論ありません。これは私のようなバカにしかできない方法でしょう。ただ、このトレーニングのお陰で私の赤面症は治り、また異性と普通に話せるようになったのは事実です。

つまり、「異性と話す恐怖」を克服するのには、やはり「慣れ」が一番ではないかと思うのです。

今の若い人に訊いても、当然のように「異性が好き」「異性と関わりたい」と言います。そのことが我々の時代と変わったわけではないのです。なのに、恋愛率・結婚率が著しく低下していることが悲しいのです。

つまり、みんな悲しい想いをしている、ということだから。 

ただ、そうは言ってもその方法は昔とは違い、難しいところがあるのは分かります。SNSやゲーム、インターネットが発達して、なかなか異性と接触する機会がなく、それら文明の利器を使った出会いはトラブルに巻き込まれる不安が付きまといます。最近、多くの事件が発生していることでもあるし、あまりお勧めはできません。

そこで、初めから言っていることに戻りますが、見合いでの出逢いも、恋愛での出逢いと何が違うのかということです。

例えば、恋愛結婚した夫婦の中にも「友人の紹介で知り合った」というカップルがいくらでもいると思いますが、それと見合いの違いは何なのでしょう。見合いでも、口も利かずに結婚するわけではありません。付き合ってみて嫌なら断れば良いだけです。

「付き合ってみたけど合わなかったから別れる」

これも一般的な恋愛と何も変わりはないのです。

自然な出逢いが少なくなった現代だからこそ、日本に古くからある「見合い」というものが見直されるべきだ、と私は思います。

まずは簡単なところで、パーティーに参加してみたりするのはどうでしょう。これなら自然な出逢いとほとんど変わりはないし、最近はどこでも数多く開催されています。ただ、主催者に不安があるところはやめた方が良いと思います。やはり元がしっかりしたところがお勧め。

その点、ここなどは有名。バックはリクルートだし、費用もほぼ飲食代程度。

 

 

ただ、そういう場がかえって苦手だと言う人もいることだと思います。何度か参加したけど、話せなくて隅で一人で飲んでいた、とか、好まぬ相手に付きまとわれて目当ての人とあまり話せなかった、など。そういう場合は、やはり本格的なサポートを受けるのが早道。

 

 同じく「ゼクシィ」。

こちらの場合はしっかりしたサポートを受けられるので、やはり少しは費用がかかります。が、そうは言っても、「ゼクシィ」は想像したほどはかかりません。結婚相談所と言えば、「初期費用」「お見合い料」「成婚料」を取られ、何十万何百万もかかるイメージですが、「ゼクシィ」は入会金と月会費のみ。

まず一度、「無料相談会」に行って、いろいろ聞いてみることをお勧めします。ここなら無理な勧誘を受けることもなく、個室なので恥ずかしい想いをすることもありません。気軽に行けます。

 

本当に異性を必要としない人はいいです。ただ、「恋愛したい」「結婚したい」と思っているのに、そのやり方が分からない人がいたら、一歩踏み出す勇気だけは持ってほしいと思います。

私が高校の時にしたような無茶な努力はいりません。ここに行けば、プロがあらゆる面でサポート・アドバイスしてくれるのですから。