結婚できないと思っている方へ 

貴方は本当に結婚できないのでしょうか? そう思い込んでいるだけではありませんか? 

新しい出逢い方

幼い頃、大人たちが「恋愛結婚」「見合い結婚」などとよく言っているのを聞いて、両親にどちらなのか聞いた覚えがあります。答えは恋愛結婚でしたが、よく考えると、こういう話題、我々世代の頃にはもう既にあまり言われなくなっていました。そして、今では全く聞かないように思うのですが、実際のところはどうなのでしょう。

私が疎いだけ?

いずれにせよ、私にはこの違いが全く分かりません。いや、バカではないので言葉の意味の違いぐらいは分かります。ただ、内容的な違いが分からないのです。

 

 

私が大学3・4回生の時、いくつかの授業を受け持って下さっていた若い先生がいました。その先生、元々高校の先生だったらしく、学生と接触するのが好きなのか、学科の親睦会と称して宴会を催したりしてくれます。

これは非常にありがたく、新しい友人ができたりもしたし楽しい時を過ごせました。そして、この時知り合った友人たちと旅行に行ったことで、今の伴侶と知り合うこともできたので、私はこの先生に大変感謝しています。

ただ、この先生と私は結構相性がよくありませんでした。いえ、悪くはないし嫌いでもないのですが、正反対の考え方だったりするのです。

ある宴会の時、先生が結婚について話していて、「俺の友人で、よりにもよって高校の時隣同士になった女性と結婚した奴がいる。何が悲しくてそんな身近な女性を選ばなくてはならないのか。それじゃあ世間が狭い。この世に女性はたくさんいるのだから……」と言い出したのです。今なら恐らく「35億」と言ったことでしょう。 

それで私は何かの小論文の時、そのことについて書きました。何の課題だったかは忘れましたが、その先生の授業内の課題でした。書いた詳細ははっきりとは覚えていませんが、だいたいこういう内容でした。

「物事の重要度や価値を、単なる物理的な距離や大きさで測る人間がいるが、それは本当に正しいことなのだろうか。例えば、地球の反対側に住む人間と太平洋のど真ん中にある小さな島で出逢えばそれは「運命的」な出逢いで、高校で同じクラスになり、隣同士に座ったことは「単なる偶然」なのか。いや、私はこの世に異性は数多くいる中で、同じクラスになり、しかも隣同士になったことも十分「運命」だと感じる。もしくは太平洋の小島で出逢ったことも「単なる偶然」である。そういう人は、この両者にいかほどの差を見いだせると言うのだろうか。いずれにせよ、地球上の全ての異性と出逢うことなど不可能なことであり、その全体から見れば出逢う数など似たり寄ったりだと言うのに……」

というような趣旨のことを書いたと記憶しています。生意気ですねぇ。。。

先生は恐らくそういう意味で言ったのではなく、単に「視野を広く持て」と言いたかっただけなのでしょう。が、例が悪かったとは今でも思っています。

そして、これは単なる一例で、他にも何度か「意見の相違」があり、私はそのたびに同じような「反論」を書きました。この先生の授業は卒業の単位的には非常に重要で落とすわけにはいかなかったのですが、まだその頃の私には「意味不明な正義感」が残っており、「ままよ」とばかり、全てその調子でした。

結果、その先生の授業、確か2年間で4~5科目あったと思うのですが全て「優」でした。

今の判定の仕方を知らないので念のため書いておくと、当時の大学のほとんどが「優」「良」「可」「不可」で判定し、「優」が最高位で「不可」は単位不認定でした。

さすが元高校教師と言うか、人間ができてる?と言うか。ただ、この先生、この「意見の相違」が出始める以前から私の考えを高く評価してくれていました。「〇〇(私)の視点はなかなか鋭くユニークだ」と、何かに関しての論文を皆の前で発表してくれたりしていたので、、、、でも、あんなこと書かれたら腹が立つはず、ほんとは。。。

なぜか、赤っ恥時代の暴露話になってしまいましたが、ただ、これで恋愛結婚と見合い結婚の違いが分からない、とする私の意見がご理解いただけるのではないかと思います。私は形式に囚われたり騙されたりするのが嫌いなのです。

 

現在の日本の結婚率は下がる一方で、それに伴って当然出生率も下がり、このまま行くといずれ日本の経済は破綻をきたすと言われています。が、そんな話をしたいのではありません。「日本の将来のために結婚して子供を作れ」などとはとても言えません。皆それぞれに考えや想いがあり、そんなことは個人の自由です。それに私は「独身」を全く否定していません。ただそれが「できない」と思っているのではなくて「しない」という場合なら。

つまり、私が気になるのは、恋愛率や結婚率が低下している原因の方なのです。 

若い人に話を聞く機会が結構あり、そういう話になって感じることは「様々な恐怖」でした。「結婚して生活が変わる不安」「子供を育てられるか心配」「果たして自分は他人と一緒に暮らしていけるのかどうか」など。最も深刻に感じたのは「異性との接触が怖い」と言うものです。 

経済不安・情勢不安、文明の発達や家族形態の変化など、時代のせいにより生み出された恐怖であって彼らのせいではありませんので、「私たちの若い頃は……」などと言ってみても状況が違うので全く意味がありません。

それは分かっています。だから文句を言う気はありません。ただ、、、なぜか寂しい。

 

 

私は小学生の頃までは異性とよく遊んでいたのに、なぜか中学2年の頃から恥ずかしくて話せなくなり、無理して話すと赤面してしまうようになりました。 

そんな自分が情けなくて嫌で、高校からは赤面症を克服する努力をしました。いろいろ試していて一番効果があったのは、「恥ずかしくないふりをすれば、その内恥ずかしくなくなる」というものでした。

また、ちょっと過激な方法かもしれませんが、「相手が恥ずかしがれば、こっちは恥ずかしくなくなる」という意味不明の理論から、わざと異性にいきなり顔を近付けるのです。鼻がぶつかるぐらいまで。そうすると大概相手は恥ずかしがります。それを見るとなぜかこっちは恥ずかしくなくなるのです。

こんなアナーキーな方法を取れ、などと言う気は勿論ありません。これは私のようなバカにしかできない方法でしょう。ただ、このトレーニングのお陰で私の赤面症は治り、また異性と普通に話せるようになったのは事実です。

つまり、「異性と話す恐怖」を克服するのには、やはり「慣れ」が一番ではないかと思うのです。

今の若い人に訊いても、当然のように「異性が好き」「異性と関わりたい」と言います。そのことが我々の時代と変わったわけではないのです。なのに、恋愛率・結婚率が著しく低下していることが悲しいのです。

つまり、みんな悲しい想いをしている、ということだから。 

ただ、そうは言ってもその方法は昔とは違い、難しいところがあるのは分かります。SNSやゲーム、インターネットが発達して、なかなか異性と接触する機会がなく、それら文明の利器を使った出会いはトラブルに巻き込まれる不安が付きまといます。最近、多くの事件が発生していることでもあるし、あまりお勧めはできません。

そこで、初めから言っていることに戻りますが、見合いでの出逢いも、恋愛での出逢いと何が違うのかということです。

例えば、恋愛結婚した夫婦の中にも「友人の紹介で知り合った」というカップルがいくらでもいると思いますが、それと見合いの違いは何なのでしょう。見合いでも、口も利かずに結婚するわけではありません。付き合ってみて嫌なら断れば良いだけです。

「付き合ってみたけど合わなかったから別れる」

これも一般的な恋愛と何も変わりはないのです。

自然な出逢いが少なくなった現代だからこそ、日本に古くからある「見合い」というものが見直されるべきだ、と私は思います。

まずは簡単なところで、パーティーに参加してみたりするのはどうでしょう。これなら自然な出逢いとほとんど変わりはないし、最近はどこでも数多く開催されています。ただ、主催者に不安があるところはやめた方が良いと思います。やはり元がしっかりしたところがお勧め。

その点、ここなどは有名。バックはリクルートだし、費用もほぼ飲食代程度。

 

 

ただ、そういう場がかえって苦手だと言う人もいることだと思います。何度か参加したけど、話せなくて隅で一人で飲んでいた、とか、好まぬ相手に付きまとわれて目当ての人とあまり話せなかった、など。そういう場合は、やはり本格的なサポートを受けるのが早道。

 

 同じく「ゼクシィ」。

こちらの場合はしっかりしたサポートを受けられるので、やはり少しは費用がかかります。が、そうは言っても、「ゼクシィ」は想像したほどはかかりません。結婚相談所と言えば、「初期費用」「お見合い料」「成婚料」を取られ、何十万何百万もかかるイメージですが、「ゼクシィ」は入会金と月会費のみ。

まず一度、「無料相談会」に行って、いろいろ聞いてみることをお勧めします。ここなら無理な勧誘を受けることもなく、個室なので恥ずかしい想いをすることもありません。気軽に行けます。

 

本当に異性を必要としない人はいいです。ただ、「恋愛したい」「結婚したい」と思っているのに、そのやり方が分からない人がいたら、一歩踏み出す勇気だけは持ってほしいと思います。

私が高校の時にしたような無茶な努力はいりません。ここに行けば、プロがあらゆる面でサポート・アドバイスしてくれるのですから。